AID自体への疑問

Doubts about AIDs

AID自体への疑問

生殖医療はこれまでの振り返りをすべき

AIDは主に医療として医療機関で実施されてきました。医療機関は命を扱うわけですから、一般の人から見れば、医療を提供する上で医療機関は厳格な管理をしているだろうと普通想像します。しかし、AIDについては、医療機関側でさえ生まれた子どもについて、出産前後の記録はほとんど残されていません。カルテさえ廃棄されています(もしかすると医療記録は残っているかもしれませんが、日本においてAIDで生まれ、医療機関に問い合わせたことのあるほぼ全ての人たちが、医療機関から記録は残っていないと返答されています)。

 

もしかすると医療機関としては、親や提供者へのプライバシーの問題から、AIDを実施した後の追跡調査は行ってこなかったのかもしれません。しかし、これまでの振り返りがまったくないままに、この生殖医療に問題がないと言えるのでしょうか。今後もAIDを続けるのであれば、医療機関側は責任を持って、過去の実施事例も含め、生まれた子どもと、家族のその後を追跡調査することが必要でしょう。

AIDは社会の問題

AIDは家族間の問題と捉えられがちです。そのため、オープンな場でAIDを語ること自体をためらう声が聞かれます。しかし、AIDの是非を問うことは、AIDで生まれた人を個別に否定することでも、AIDを選んで子どもを得た人を個別に否定することでもありません。AIDは「単にある家族がそういう選択をした」というだけの問題ではなく、社会全体で考えるべき問題なのです。

 

これまでに、多くの子どもがAIDによって生まれています。現在もこれからも当事者やその家族と同じ社会の仲間として関わり合い、共に生きていくのです。決して他人事ではありません。

 

AIDのある社会を認めるのか認めないのか、認めるなら、何を認めて何を否定するのか、それを決めるのはとても難しいことです。正しい線引きがあるわけではないからこそ、時間をかけて私たち一人ひとりが考えていく 問題だと思います。

事実を隠す親たち
明かされない提供者情報
情報不足と社会的関心の低さ