2020-11-24


11月24日(火)11時半~12時半 厚生労働省記者会クラブにて会見を行いました。
会見には、DOGの代表と生殖補助医療の当事者を研究してきた研究者が参加しました。
以下では、会見で記者たちに配布された当事者たちの声の一部を掲載します。

関東地方、50代女性

告知30才、母から

人口一万人未満の村で生まれる

曾祖父の代からの家、私が4代目、夫は婿養子

 

私の場合、AIDは親の保身のためだと思います。ムラ社会で生きていくために見せかけの形を取り繕いたかったのでしょうか。

 

父は、「無精子症の隠れ蓑」として、

母は、「子なきは去れ」とならぬように。

 

告知前のことですが、私は、両親から受ける印象から、「子供は親の道具ではない。子供を自分たちの幸せの手段にするな」と母に伝えたことがあります。

 

生まれた命を生きていかなければならないのは、命を与えられた私たちです。親の保身なんぞで生んではなりません。

 

くさいものには蓋ではないですが、まるで第3者(提供者)の存在などなかったかのように扱われてきました。

隠すことが前提ですから。

 

しかし、私の半分は第3者の血が流れています。

 

私が年をとるにつれて提供者の存在を無視できなくなると(両親に似ていない面が顕著にでてくる)、父からは血縁がないからできるような言動が私に幾度となくありました。

 

今の私の生きる支えは、夫、娘、そして提供者の存在です。

 

あなたの子供です、と名乗りたいわけでもない、自分のルーツ、遺伝上の父がどのような人なのが知りたいのは当然のことだと思います。

 

健全なAIDは、隠さないこと(第3者の存在を無視しないこと)、出自を知りたいときにいつでも知ることができること、そしてずっとずっと変わらない愛情を注ぐ覚悟でいること、だと思います。


 私は、80年代に中部地方でD I(A I D)で生まれました。29歳の時に告知を受け、強くショックを受けました。医療機関にも問い合わせましたが、すでに30年経っているのでカルテがないこと、施術を受けた母親本人ならまだしも、生まれた子どもにはそもそもカルテを開示できないことを告げられました。

 

 知りたいのに知ることができない。欠けた部分を埋めるためにいろいろ調べました。教えてもらって、中部の地方新聞で、80年代に大学キャンパスで精子提供のバイトのビラが撒かれていた事実を伝える記事があることを知りました。憤りを感じましたが、それでも、私が生まれた当時を知るひとつの手がかりでした。

 

 今回の法案で、何より許せないのは、出自を知る権利を先送りにしたことです。先送りした間にも、子どもは生まれ、育ちます。その子どもから権利を奪おうとすることが、何より許せません。無抵抗の子どもから、アイデンティティをはぎ取る行為です。私のような思いをする子どもが増えるのは、もうたくさん。大人を優先させ、大人にだけ選択肢を与え、大人に保証を与える一方で、子どもに与えず、子どもから奪い、子どもにしわ寄せの精算をさせないでください。

 

 今回の法案は、ネグレクト法案です。そこに子どもの人権に関わる問題があると知りつつ放置するわけですから。子どもを見捨てるネグレクト立法、ネグレクト法案です。これは大きな間違いです。出自を知る権利を、早急に盛り込むよう、要請します。


 私は、現在62歳ですが、31歳の時、父の入院時に、母から、AIDで生まれたことを告知されました。その時に感じたことは、次の3つです。

 

 1つ目は父と血がつながっていなかったことが、すとんと腑に落ちたことです。父に対してはずっと違和感を感じていたので、その理由がこれだったのかと納得できました。2つ目は、自分が誰なのかという根幹のことを隠し続けてきた親への不信感です。嘘をつき続けられてきたことは大きなショックでしたし、その後、それが悲しみと怒りに変わっていき、30年経った今もまだ消えません。そして3つめは、自分自身が見えなくなってしまったような喪失感です。それまで思っていた自分とは全く違う存在なのだとわかり、31年間の自分がすべて消えたかのように感じました。それから長い時間をかけて、当事者や研究者に支援してもらいながら、少しずつ自分を組み立て直してきました。

 

 今回、精子提供、卵子提供で生まれた子の親子関係を明確にする特例法が出されましたが、生まれた子どもがどのように育ち、どのような思いで生きているのか、その検証が十分になされないまま進められようとしていることに、強い違和感を感じます。この生殖技術では1つのいのちが生まれます。その子どもにとって、なにが必要なのか、なにを大切にするべきなのか、という視点で考えていただきたいです。

 

 「隠していれば問題ない」と両親は不妊治療に通った病院で言われたそうです。31年後、隠しきれなくなった母が私に告知しました。現在はDNA鑑定も進んでいますし、これから70年80年の長い人生の間「隠し通す」ことは現実的ではありません。隠し続けることは、親にとっても相当な負担ですし、子どもは、家族内に不穏な空気があることを感じ、自分の存在が、なにかよくないものなのではないかと不安になります。私は、第3者の提供による生殖医療には反対です。同じような思いをする子どもは生まれてほしくないという思いがあります。

 

 ですが、どうしても精子提供、卵子提供をするのであれば、子どもに、どのように生まれたのか、提供した人はどんな人なのか、きちんと伝えなければなりません。生まれるいのちは人として尊重されなければなりません。今は、自分が精子・卵子提供で生まれたことさえ知るすべもありません。国の法律で認めるのであれば、告知を親任せにせず、子ども自身がどのように生まれたのか、提供者は誰なのかを知ることができるシステム、そして、子どもが悩んだり苦しんだりした時に相談できるシステムを作ることが、なによりもまず必要だと考えます。